【寄稿】一般財団法人総合科学研究機構CROSS T&T
2025/08/01
一般財団法人総合科学研究機構様よりご依頼を受け、機関誌CROSS T&Tに寄稿いたしました。
機関誌CROSS T&Tは記念すべき80号。
昭和クロニクルと題して茨城県各所より平成・昭和を振り返るような寄稿を依頼受け、ENISHIWORKの活動と「陣中占ひ」の紹介をさせていただきました。
CROSS T&T…80号
戦後…80年
そんな特別な機関誌に依頼いただき、感謝です。
寄稿しました文章をこちらに以下転載します。
(文章の著作権はENISHIWORKにあり、機関誌CROSS T&T様より許可を得て投稿しています)
【昭和 100 年 生きた証を繋ぐ慰霊顕彰活動と昭和品復刻製作】
ENISHIWORK 代表 石田 和美
特攻始まりの地で
私、石田和美がいるここは、かつて海軍航空隊があった場所。「明日も晴れると良いですね。」と沈み行く夕日を見ながらお客様を笑顔で見送る。私は茨城県美浦村にある鹿島海軍航空隊跡・大山湖畔公園で軍跡ガイドをしています 。茨城県といえば毎年の都道府県魅力度ランキング最下位で有名な県。最下位を毎年楽しみにしていると言っても過言ではない程、穏やかな県民性と私は感じています 。それは歴史の中に『全てを受け入れ笑顔で送り出してきた歴史』があるからではないかと私は思うのです 。『全てを受け入れ送り出してきた歴史』とは・・・
皆さんは特攻という言葉をご存知でしょうか。様々な定義や詳細はありますが、大東亜戦争の緒戦に行われた作戦で特別攻撃の略称。特攻を知るには今や書籍、芝居、映画等でしか観ることも聴くこともできない。そして必ずと言ってよいほど論争が起こることが多く、犠牲、犬死、英雄、美化・・・そんな言葉が飛び交い、どの言葉をとっても私は違和感しかなく、全く意味の無い論争だと思っています 。鼻息荒く論争している大人達を若者達はどう見ているのでしょうか。せっかく当時の歴史に興味を持ってくれても、怒り口調の大人に聞いてみようと思う若者はいるのでしょうか。「ややこしく面倒に巻き込まれるのはゴメンだ」と、近寄りたくもないのではないかと思ってしまうのです 。見たことも体験したことも無い大人が自分勝手な持論を語ったとしても、ただのフィクションにしか思えないのではないでしょうか。だからこそ、実際に来て感じて欲しい場所がある。それが茨城県なのです 。
特攻の終焉の地が鹿児島県ならば、茨城県は始まりの地と言っても過言では無い。それは茨城県には海軍陸軍の航空隊基地が数ヶ所あり、多くの搭乗員の飛行時間の始まりはここ茨城県の航空隊から始まったのです 。そして海軍最初の特攻隊員になった二五人のうち二四人は茨城県阿見町にあった土浦海軍航空隊に入隊した海軍飛行予科練習生(予科練生)甲種十期生であり、また陸軍最初の特攻隊「万朶隊」は鉾田市にあった鉾田教導飛行師団で編成されているのです 。茨城県にはかつての航空隊があった場所に、現在でも軍の跡を物語る軍跡が多く残っています 。例えば予科練の記憶を多く残す土浦市・阿見町は現在も当時の記憶を感じる場所がたくさん残っており、街を歩けば「海軍用地」と書かれた標柱、軍の建物の基礎は違和感無く溶け込み、予科練指定俱楽部(家族との面会や予科練生の休日に使用された)は当時のままの建物で当時と変わらない食事を提供する店として人々に愛されています。また軍跡や当時の資料を保存し展示する施設が多くあるので、施設として見学できる場所を次に紹介します 。
【土浦海軍航空隊跡】
〈雄翔館・雄翔園〉
陸上自衛隊武器学校内(通用門より入場可能)管理運営は公益財団法人海原会。慰霊顕彰施設。
〈予科練平和記念館〉
雄翔館・雄翔園の隣の敷地阿見町廻戸に建立。管理運営は阿見町。平和教育施設。
【筑波海軍航空隊跡】
〈筑波海軍航空隊記念館〉
現存する海軍司令部庁舎を保存し関連資料の展示を行う。笠間市の指定管理を受けて株式会社プロジェ茨城が管理運営。軍跡保存施設。
【鹿島海軍航空隊跡】
〈鹿島海軍航空隊跡・大山湖畔公園〉
廃墟と化し朽ちつつあった現存する海軍司令部庁舎やその他敷地内を保存再生する施設。美浦村の指定管理を受けて株式会社プロジェクト茨城が管理運営。軍跡保存設。
【神之池海軍航空隊跡】
〈櫻花公園〉
神之池海軍航空隊で使用されていた掩体壕(敵の襲撃から飛行機を守る為の壕)を保存し壕の中に櫻花の復元機が置かれている。管理者は私設。軍跡保存、慰霊顕彰設。
それぞれの施設の特性を分かりやすく・慰霊顕彰施設・平和教育施設・軍跡保存施設と紹介させていただきましたが、どの施設も英霊、遺族、生還者、地域で支えた人々に敬意を顕している素晴らしい施設です 。また、施設間で連携を取り情報や意見交換、慰霊祭の参加等双方で行き来する関係性であり、そんな関係性を築いている施設が多くある茨城県だからこそ、私をボランティアとして受け入れて下さったのだと思うのです 。個人的活動から任意団体として発信するようになったのは、祖先に戦没者がいたことと、戦没者慰霊に対する現代の様子に違和感を持ち「このままで未来へ繋ぐことが出来るのか。もう語ることが出来る人はいなくなる。戦後三十年世代は記憶を繋ぐ最後の世代かもしれない。どう繋いでいくのか。」を課題として発信していこうと思いはじめたそんな時に・・・
時を越え突然現れた、昭和時代に使用されていたと思われるものとの出会いが、私を強く突き動かしたのです 。
昭和風情を令和現代へ~陣中占ひ復刻しました~
慰霊顕彰活動と近代史の調査研究中に、偶然手にした昭和戦前のものと思われる「陣中占ひ」と書かれた占いカード。組箱の中に文字カード 25 枚と画カード 5 枚が入っており、文字カードには日本語が通じにくい羅列で文章が書かれています。画カードには窓開き穴が開いており、文字カードの上に重ねると、占い結果を読み取れるというユニークな占いカードなのです。入手した時の感想は「すごい!面白い!昔の人って素晴らしい!至極だ!」と感動を通り越し、神聖なる恋愛のようにすっかり惚れ込んでしまいました。そして「陣中占ひを多くに方に知ってもらいたい。陣中占ひを通して過去と現代を繋げたい」と強く思うようになりました。
「陣中」と書かれていますが、陣中の意味(戦の中)の要素は全く無く、歴史的背景や軍との関わりを多方面に調査研究しましたが、関連資料は一切残っておらず明らかにされていません。製作者も出版元も、年代も値段も、全く何も関連資料が残っていない。恋焦がれ煙になってしまいそうな熱い想いは復刻版を製作するプロジェクトへと繋がっていきました。関連資料が一切残っていない中、「陣中占ひ」は全国数ヶ所の博物館や資料館、個人のコレクターが所蔵しており、その先でとても大切に所蔵保存されていることを知りました。現代はオンライン販売で購入でき、明日には届く流通のスピード。しかし昭和当時はそんな環境も無い中、人によって大切に運ばれて残った経緯があるのではないかと思うのです。復刻に対する熱い想いは礎となり「先人の叡智がつまったこのカードを令和に繋ぎたい。復刻版を手にした人が令和時代を楽しむために使って欲しい」そんな思いで復刻版を製作しました。
復刻版を完成するには、大変な道のりがありました。まずは著作権侵害にあたらないかをしっかりと調べました。意匠の面白さ、著作者への敬意を大切に、販売することで世に甦らせるなら、復刻版ということをしっかりと伝えて行きたかったので、商標登録を取得しました。
陣中占ひ~旧字体・古語に込められた思い~
手にした「陣中占ひ」は手書きのようなフォントで、漢字や平仮名は旧字体が使用されていました。旧字体とは簡単に説明すると、明治以降かつ当用漢字字体表(1949 年)制定以前に使用されていた活字の漢字の字体を指します。
旧字体には漢字の成り立ちや由来か込められており、意味を知ると占い結果も赴き深く感じられます。私には大正生まれの祖父母がおりました。祖父母は遠い場所に暮らす私によく手紙を書いてくれました。その手紙には私が学校で習うことの無い旧字体が多く使われており、読む事が難しい手紙を読むことがとても面白く、喜んで返事を書いた思い出があります。祖父母にとっては当たり前に使用していた旧字体も、当時の私にはとても珍しく新鮮に感じました。そして今となっては、とても懐かしく感じます。そこで「復刻版陣中占ひ」は、明治時代に使用された明朝体を再現したフォントを使用しました。新しい商品なはずなのに、時を越えて出てきたような味わいのある仕上がりにしました。手に取って調べる楽しさから、時の経過や時代が繋がる瞬間を味わうことができるのが、この陣中占ひなのです。
「陣中占ひ」は当時使用されていた言葉が、そのまま使用されています。現在一般には用いられない言葉も多くありますが、復刻するにあたり忠実にそのままの文章にしました。現代からみたらこの「復刻版陣中占ひ」は古語を使用していることになるでしょう。長い歴史の中で日本語の語彙がどのように変化していったのかを調べてみると、諸説様々ありますが近代時代に大きく変化した歴史があるようです。だとしたら、この「陣中占ひ」の作者は明治・大正時代に教育を受けた方が昭和時代に作成したのではないかと思います。「陣中占ひ」に使われている古語。例えば、~べし、~べからず、~ざるべからず、等です。「べし」一つをとってみても、様々な意味があり、意味を見分けるには主語の立場や文脈を考慮する必要があります。なかなか意味が分からないからこそ、調べる楽しさもあり、またインスピレーションで占い結果を感じるのも良いかもしれません。意味を調べる時間は当時と繋がる時間。そんな時間も楽しんでみて欲しいものです。
昭和 100 年に伝えたいのは生きた証
茨城県は生きた証が残る場所。当時を語る年代は少なくなりましたが、残る軍跡からそれが感じられる場所があります 。そして不思議なタイミングで手にした昭和品である陣中占ひ。これもあの当時、家族や仲間とのコミュニケーションとして使われていたことでしょう。歴史の教科書で昭和時代は大まかに、戦前は戦争一色、戦後は高度経済成長とバブル・・・そんなイメージかもしれません。しかし時代がそうであっただけで、今と変わらない笑顔や愛しい人への思いがあったに違いありません。昭和と令和。100 年という節目の年、同じ和の文字に込められた思いは先人からのメッセージかもしれません。
以上転載終わり
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オンライン販売開始!
復刻版占いカードは陣中占ひ®
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